旅路の里の沿革
旅路の里は、1982年に当時六甲教会の主任司祭だったイエズス会司祭薄田昇神父によって開設されました。以来、20年以上、5人のイエズス会員が所長を歴任しています。
釜ヶ崎に旅路の里が設立された経緯を、たび次郎とさとこのナビゲーションでたどります。
旅路の里ができるまで
「釜ヶ崎の歴史」で、たび次郎が説明してくれたように、釜ヶ崎にたくさん人が集まって暮らすようになった70年代、日雇い労働者たちの社会福祉の問題、労働環境の変革を求める動きなど、社会的な課題がたくさん出てきました。
キリスト教の団体も、早くから人々の中に入って活動していたにゃ。
カトリック教会では、第二バチカン公会議というとても重要なターニングポイントになる会議が終わった頃で、
イエズス会は「決然たる態度を持って、不正と抑圧されている世界に関与することが大切である」と呼びかけていたの。
その頃、六甲教会の主任司祭だった故薄田昇神父様は、釜ヶ崎と出会って、衝撃を受けたのね。
それで、すでに活動を展開していた、フランシスコ会のハインリッヒ神父様を「ふるさとの家」に尋ねたそうよ。
問題は山積みだったにゃ。とても単独でできる仕事ではない。それで、エリザベス・ストローム牧師ほか、キリスト教協友会の関係者と相談して、結核などの病気の後に住む場所のない人の施設を作ることにしたにゃ。
日雇い労働者は、病気になって仕事ができなくなったら本当に大変なの。入院している間はとにかく、退院して仕事ができるようになるまでの居場所は必要だったでしょうね。
旅路の里沿革
病後労働者の短期滞在施設としての活動の後、旅路の家のミッションは時代とともに変遷しました。
そして、釜ヶ崎という地域の中で、主に、釜ヶ崎でこれから活動したいという人や、釜ヶ崎に関心を持つ人の足掛かりの場として、また、釜ヶ崎で活動する人々が寄り合い、交流する場としての役割を担うようになりました。
特に、教派を越えてキリスト者が協働する「キリスト教協友会」や、「木曜よまわりの会」の活動拠点でもあり、以前には「釜ヶ崎医療連絡会」の連絡先だったこともあります。>>仲間たちのページへ
歴代所長
初代所長 薄田昇神父 在任 1982-1996
John O’Mally神父 在任 1997年-2001年
英 隆一朗神父 在任 2002年-2003年
高山 親神父 在任 2004年-2018年
梶山 義夫神父 在任 2019年
英 隆一朗神父 在任 2020年- 現在
1982年から2007年までの旅路の里の活動について「創立25周年記念誌」がイエズス会社会司牧センターから発行されています。