5月のいやしのミサのお説教
ヨハネ福音書16章29-33節「危機の時こそ生き方を変えるチャンス」
福音書朗読
29:弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。
30:あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」
31:イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。
32:だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。
33:これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
お説教
今日、5月13日はファチマの聖母の祝日ですね。時々なんていうか、プロテスタントの方がある意味誤解していることの一つなんですけれども、カトリックはマリア様を神様として拝んでるっていうんですかね。だから偶像崇拝してるっていうふうによくプロテスタントの方から批判されることがあるんですが、もちろんカトリックは神様イエス様だけですから、マリア様も神様として拝んでるわけではなくて、それはやはりマリア様が本当に信仰において素晴らしい方だったし、イエス様のお母さんだったわけで、そのように立派な方だったから、今も、亡くなって天におられて、私達のために祈りを捧げてくださっている。とりなしの祈りを捧げてくださっている方である、という、私達はそのマリア様に対して尊敬の心を持って、大切にしているということなんですけれども、でもマリア様はイエス様のお母さんですけど、やっぱり私達信者のお母さんでもあるので、やはり私達のことを絶えず心配していろいろな導きをお守りをくださってるということも、これも確かなことですね。
ファチマの聖母の預言
それで今日のファチマの聖母というのは、1917年5月13日に第一次世界大戦中にですね、このポルトガルのファチマというものすごい片田舎で3人の子供にですね、その、マリア様が現れて、様々なメッセージを人類に与えたということで、ファチマのマリア様はもうカトリック教会も公認していてですね、もう今やすごい巡礼地で、ファチマで会議があってそこで2週間ぐらい行ったことがあったのですが、マリア様が現れたところを中心に大小様々な聖堂がいっぱいあるんですけど、どこに入っても人がお祈りしてる。ものすごい祈りの町で、祈りの場所っていうのかな、もうすごい祈りのパワーが強いっていうんですかね。本当にたくさんの聖堂があってどこでも何人もの人がもう真剣に祈りを捧げているところで、やはりそれは本当に独特な何かパワーというですかね、聖なるところだというふうに思いました。
マリア様が、これも有名なお話なんですけど、その3人の子供たちに…1人が…ちょっとこの前亡くなりましたけど、ルチアでしたっけ、ちょっとちょっと忘れましたけど、三つの預言を、有名な三つの預言をマリア様がそのときされたんですよね。一つは、第一の預言は、第一次世界大戦中だったんですけど、第一次世界大戦の終結、それが大体いつ頃終わるかっていうこと、第二の預言は何かっていったら第二次世界大戦が起こるであろうということをおっしゃったんですよね。
第三の預言が、実はそのあまりに内容が非常にあれなんで、実は封印されてて、そこからいろんなネットで引いてもファイチマの第三の予言といって、未だにいろいろなことがですね、出てるんですけどでも、実際は普通に考えて、第1が第1世界大戦中で第2が第2世代の方、第3の預言ってのは多分第三次世界大戦、世の終わりのときに本当に大きな戦争があるということと、今一部分だけ発表されているバチカンの発表を読めば、実はそのバチカンの崩壊ですね。教皇庁の崩壊で、結局最後、パパ様が撃たれて死ぬとか何とか、そういうビジョンなんですけど、だから第三次世界大戦とバチカンの崩壊だから、カトリックって組織がもう壊れちゃうっていうことではないかと思うんですが、そういうちょっとおどろおどろしい預言を、実はマリア様がされて。
人生の危機をどう受け止めるか
でも何が大事かって言ったら結局、3番目の預言がいつ来るかもちろんわからないんですけどでも、やはり大きなことはですね、やはり私達はそこまで大きな危機じゃなくったって、いろんな危機が度々私達の人生にあるわけですけど、それをどのように受け止めていくかっていうことが一番大切なことではないかというふうに思います。
それはもう本当にね、マリア様が言ってることって、どの出現もほとんど同じなんですけど、やっぱり一生懸命お祈りをしましょうということですよね。遊びほうけたり、この世のことにとらわれてるんじゃなくて、やはり祈りをするっていうことと、質素な生活って言うんですかね、節制した生活をしながら、やっぱり信仰生活を大事にしていきましょうということを繰り返し度々言ってるだけなんですよね。だからさっき言ったファチマでは多くの人が祈りを捧げたり断食したりですね。苦行したりするような人々がいっぱいおられる。
つまりマリア様を通して、結局神様の心は何かって言ったら、私達が悔い改めて生きていくようにという呼びかけですね。特にどういうときに私達に悔い改めが必要かというと、やっぱり危機的なとき、苦しいときとか、やっぱり物事がうまくいってないときやはりこのミサにおいてやっぱお祈りする人たちの…やっぱり、病気のときですね、病気のときとか、行き詰まったときにこそ、私達は自分の生き方を点検してですね、やはり生き方を変えていく必要性があるわけですよね。特にやはり行き詰まってるときとか、特にやっぱり病気のときとかですね、そのときはやっぱ何かが行き詰まってるわけだから、変えていくチャンスを神様が与えてくださる。何を大事にして生きていくのかどうか、どういうライフスタイルで生きていくのか。今まで通りにいかないことが元気なときは何でもできてね自分の好きなことをして、できてきたでしょうけども、病気になってるときにこそ、私達はやっぱり自分たちに問いかけるわけですよね。
生き方を変える一つのきっかけが来てるわけですから、そこで悔い改めて、私達の生き方を変えていく、それは神様の御旨にかなう生き方に私達の生き方をシフトしていく。だから病気のときは、やはり一つの大きなチャンスと言ったらちょっと言葉が強いかもしれないですけど、やっぱり生き方を変えていく大きな恵みが与えられている。
だから、巷で出てくるこのファチマの預言って言ったら、大体何でもなんかおどろおどろしい怖いことばっかり言ってて、こんなに大変なことが来るとかばっかりの話ですけどでも、実際そうじゃないですよね。実際は危機をどう乗り越えていけばいいかをマリア様を通して神様が私達に語りかけてるってことなんですよね。
だから今日の福音書の最後、あなた方には世で苦難があると、だから世の終わりであろうと、苦難がある。だけど勇気を出しなさいとイエス様が言っておられて、私は既に世に勝っているからだと。つまり神様が既に勝利をしているからこそ、私達がどんなに困難なことがあっても、がっかりしたり絶望したりせず、やはり自分の生き方を、自分中心から神様中心の生き方に変えて、やはり祈りをしながら、自分の生活を整えながらですね勇気を持って神様を信じる道を歩みましょうということなんですね。これは私達にとって本当に大事なことですから、私達は日頃から神様のことをしっかり求めていることもあれば、ちょっとずれちゃって違う方向に行っちゃうことも多々ありますけれども、また悔い改めて私達の生き方を神様の方に向け直しながらですね、歩めるように、そしてマリア様が言うには、やっぱり本当に私達が祈りと苦しみを捧げていくならば、やはり世界のこの破滅が収まるというのかね、酷さがストップされると思うと言っておられるわけです。
だから私達がやはり祈りにおいても、人に対する親切においても、私達の生き方においても、やっぱり少しでも神様の喜ばれる生き方になっていくように、それは自分のためだけじゃなしに、周りの人々のためでもありますから。私達の悔い改め、祈りを通して自分自身と、そして周りの人、特に病気の人や苦しんでいる人に神様の愛と力が与えられるようにですね、改めてマリア様のとりなしで恵みと力を願いたいと思います。